■ 実はにょただとばれてしまった瞬間の別パターンです。
以下の注意書きを必ずお読みください。
WW2勃発→フランス降伏→バトルオブブリテン→ノルマンディー上陸→パリ開放→ドイツ降伏
上記の流れがおかしいと感じる。
【→】で省略された仔細を知っている。
映画あるいは小説【パリは燃えてるか】を見たことがある。
いずれかの条件に当てはまる方は、ご不快になられる可能性が高い文になっております・・・。
たとえば、ノルマンディー上陸後の目標はパリではなくドイツだった(パリは後回しにされるはずだった)のにもかかわらず、最初からパリ開放を目標にしていたりします。
いつにもましてなんだか中途半端な展開&文体です。
ノリでよんでください
以上の条件でも別にかまわないとおっしゃってくださる方は、お暇つぶしにでもどうぞー。
シャツの首筋から、あるいは手袋の隙間から。
白い包帯がのぞく。
バトル・オブ・ブリテンでドイツの侵攻を退けたとはいえ、自国上空での戦闘はイギリスに尋常ならない被害をもたらしていた。
それでもその体を押して、ノルマンディ攻略に乗り出したのには感嘆を通り越していっそあきれるぐらいだ。
何気なく腕をつかんだときがあった。
厚い軍服に隠された腕の細さに気付いたはずなのに。
あのときに、無理やりでも休ませればよかった。
ヨーロッパに第二戦線を構築したのは、フランス自由軍、イギリス、カナダ、そしてアメリカの軍だった。
これだけ切迫した世界情勢に、親子の情など無意味である以上、どんな取引をしたのかフランスにはわからないが、アメリカを引きずり出したイギリスの手腕は流石といえる。
しかし、それは、勢いづいたドイツを打ち破るには大英帝国のプライドを捨て、ロシア・アメリカを引きずりこむ必要があったということでもあった。
フランスは。
どれだけイギリスが追い詰められていたかを。
知っていた。
はじめにパリの地を踏みしめたのはフランスだ。
自分の体なのに、どこか人のもののようで。
アメリカに笑われて、はじめて、自分が泣いていることに気づいた。
「しかたがないだろ」
減らず口を叩きつつ、どうして、笑っているのがイギリスじゃないんだろう、とぼんやり思う。
イギリスは、今、ココにはいない。
どうしてと思う余地もなく、別部隊でドイツ軍と交戦しているからだ。
それでも、ここにいればいいのに、と、頬を伝う涙をぬぐいながら、思った。
パリが正式に開放されたのは、その数日後ことだ。
ドイツ軍の影も消え、フランス軍とアメリカ軍でパレードを行った。
皆、笑っていた。
ラ・マルセイエーズの合唱の渦の中、フランスはもう一度こっそりと泣いた。
(あー涙腺よわくなってんなぁ)
こんなときは、腐れ縁と喧嘩して自分を確かめたいのに。
彼は、ここにいない。
彼の上司は、フランスの上司とともにパレードに参加しているのだけれど。
イギリス自身は、こちらに向っている途中だという。
まったく、友達がいのない・・・いや友達でないのだから当然。仲間がいのないヤツだと、心の中でだけ悪態をつく。
感じる寂しさには気づかないフリで、もう少し落ち着いたら酒でも飲むか、と考えた。
酔っ払わせすぎてはいけない。適度に、コレが大切だ。
そうすれば、きっと笑いあうことも、抱き合って喜ぶこともできるから。
二人きりは難しいかもしれない。アメリカも入ってくるだろう。
イギリスと笑いあう唯一といっていいほどのチャンスがつぶれるが、それならば、三人で笑えばいいことだ。
その情景を思いやって、フランスの口元に笑みが浮かぶ。
はやく、来い。
待ってるんだから。
イギリスが倒れたと、連絡が入ったのは、それからすぐのことだった。
最後にみたイギリスは、凛と立って、キツい目でドーバーの奥を見つめていた。
「パリで」
その言葉を最後に、ずっと、別行動だった。
イギリスが倒れたの報を受け取った後のフランスの行動は早かった。
もとより、国の存在は衆人に知れるものではないから、パレードに直接関係していない身だ。
いてもいなくてもいいだろう、と静止の声をかける部下たちに怒鳴って、車を飛ばしてやってきた。
白く磨かれた廊下を駆ける。
思い出すのは、最後に交わしたひそやかな笑顔。
『パリで』
パリで会おう、と皆まで言わずとも通じた心。
コンと打ち合った拳の感触は、まだこの手にある。
「イ・・・アーサー!」
教えられた部屋に飛び込もうとして、けれど、立ちふさがったナースに押しとどめられる。
「どいてくれっ」
常ならば、決して女性にはしない荒さで、その肩を押しのけようとして、その腕は後ろから伸びてきた男の腕に押さえられた。
「だめです。女性の治療をみせるわけにはいけませんっ」
背後の拘束を解こうともがいたところで、飛び込んできたナースの言葉にフランスの動きが止まる。
「え・・・?」
なんといった?
「あなたは、親族、あるいは、恋人ですか?」
まっすぐ見つめてくるナースの顔を見つめてしばし。
ようやく頭に届いた言葉に、ゆるく首を振れば、
「では、女性の治療にたちあわせるわけにはいきません。終わるまで外でお待ちください」
きっぱりと、言い切られる。
まっすぐな視線は揺るがない。
それはフランスを押しとどめる威力を持っていた。
強行突破するわけにもいかず、自身を押さえていた腕が促すがままに、きびすをかえして。
ドアを開ける直前、
(そういや・・・ナースの子、かわいかったな)
ふと、思い至ったものの、食指は動かなかった。
「・・・なぁ、お前、しってたの?」
病室外の、ソファの上。
アメリカ(病室で彼を止めた男だ。気づく余裕がなかった自分に呆れる)に問えば、彼はパチリと瞬いた。
「なんとなく、ね。俺が子供の時でも絶対に裸みせなかったし」
なんかやわらかいしねー、と悪びれなく呟く男に嫉妬しなかったといえば嘘だ。
(・・・嫉妬?)
まさか。
「フランス?」
アメリカの問いかけも頭に入らない。
なんで、イギリスが倒れたと聞いてあんなに必死になった?ナースの顔すら目に入らないほどに。女の子に乱暴な行動とるほどに。
なんで、イギリスの子供同然だったアメリカの行動に嫉妬する?
まさ、か。
「ぅぁぁぁぁ」
「フランス?具合が悪いのかい?」
フランスが気づいてしまった恋は、一生に一度の最高に分の悪いギャンブルだった。
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本家のフランス兄ちゃんは、自国に残ってそうです。
レジスタンスとして、ドイツにジャガイモ投げてるし(ご本家7月の日記)
以下は、補足と言い訳。
パリ開放時の描写は、ネットで食いかじったものをつなぎ合わせています。
近づいてくる連合軍に呼応して、パリ地下警察と市民は一斉蜂起。市民による銃撃戦もあったそうです。
パリを破壊せよという上司の命令に背いたドイツ(の将軍)のおかげで ほぼ 無傷で開放されたパリですが、かなりの死傷者はでたのでしょう。
仏&米のパレードはコレを書き出した数週間前に、ウィキ様で見た記憶があるのですが、パリ開放の情報がウィキから消えてる罠orz(12/6現在)
連合軍がパリに足を踏み入れた後も、ドイツ軍からちらちらと狙撃やらなにやらがあったそうで。
正式に開放されたのは、数日後のこと。
そのときに、仏&米軍のパレードが行われた・・・とかかれていた。と、思う。
【パリ開放のニュースを伝えるラジオのアナウンサーが「うれしさで気も狂いそうです!」とユゴーの詩を朗唱しはじめた】【「ラ・マルセイエーズ」の大合唱】とかは、ネットの食いかじり。
それが、パリ開放当日のことなのか、パレードのときなのか、わからなかったので、適当にお茶をにごしました。
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上記を書き終えたのが、2007/12前半なわけですが。
書き終えた後で、「パリは燃えてるか」の存在を知りましたorz
ネットでざざーっと検索してみたところ、史実に基づいているお話だそうで。
【パリで奮闘する兵士たちに市民がラ・マルセイエーズを大合唱した】みたいなことが書かれていました。
おもいっきり使いどころを間違えていますorz
そ、それはさておき。
そのあらすじ読んだだけでグと胸に来るものがあったので、その場にいたフランスは絶対泣いてるよ、うん。
撤退するドイツ将校の中には占領していた家をきちんと整理しなおして割れた皿の賠償金も置いていった人がいたとかも書かれていました。さすがドイツ。
機会があったらば読むか見るかしてみたいお話ですが、戦争モノは嫌いなので読まないまま終わる可能性大。仏英のために性分を曲げるかどうかの瀬戸際な今日この頃(笑)
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